至誠館道場 館長挨拶

至誠館道場 館長挨拶

すべてを空手化せよ

 早いもので「至誠にして動かざる者、未だ之有らざる也」から「至誠」の文字をいただいて、空手道場・至誠館を設立開館してより、二十数年の歳月が流れました。

 昭和六十一年の冬、十二月十四日の事でした。道場完成後間もなく、全空連の今は亡き真野専務理事より電話をいただきました。ヨルダン国皇太子殿下(現国王)の空手道指導のために、派遣したい、というものでありました。

 しかし、その時既に道場生を募集し、年が明けたら稽古開始の準備を整えていたものですから、これを丁重にお断りを致しました。実は今一つ、お断りをした理由がございます。

 鹿田小学校に勤務し、一年生の担任をしている時のことです。職員室の行事黒板にスケジュールを書いている時、クラスの子供達が甲高い声を上げつつ職員室に入ってきました。「センセイ、○○ちゃんが逆上がりが出来たんよ。」と。その一瞬に、小学校教師の終焉を痛感したのであります。いつも子供と共に遊び、走り、笑い、叱り、涙してきた自分が、子供が伸びるその時を見届ける事が出来なかった悔しさが駆け巡ったのであります。密かに高校への転出に思い至ったときであります。

 二十一年間の小学校教師から、高校への転勤。社会科担当そして空手道部の顧問。空手道の指導が本務になりました。高体連の大会は元より、全日本からアジアへ、そして世界に向けて発信です。アジア・オセアニア・北米・南米・ヨーロッパからアフリカへと、審判員として歩きました。自分の目で見、自分の足で歩いたこと、それらの全ては、世界の地理を語り、世界史を語る時の緊張感と臨場感になりました。その頃から、自分も現役選手として空手道を楽しむようになりました。全国教職員空手道大会の出場です。高校退職するまでの十三年間連続の組手優勝、第一回スポーツマスターズ大会の優勝であります。まさしく自分にとっては、授業も組手も勝負でありました。

 三十六年間の教師生活、教師道と空手道は常に一つでありました。「人はみだりに人の師となるべからず、真に教ふべきことありて、人の師となりぬ」は吉田松陰の教えでありますが、教えたいものこそ実は空手道の目指すものに他なりません。ご先祖様を大切に敬うこと(先祖崇拝の道)、和して生きること(宇宙調和の道)、苦しさに耐えながら精進すること(忍苦精進の道)、また降りかかる火の粉を払う力と道の辺に咲く名も無き一輪の花に無限の愛情を注げる心を持ち合わせること(剣魂歌心の道)であります。そして、貧しくとも凛として背筋を伸ばして生きていくこと(清貧凛生の道)であります。その思想と哲学は武人の目指す道であり、生涯を貫き通す道であります。それが全てを空手化するということでありましょう。

 人は人として鍛えられてこそ人足りうるのであります。そして魂の触れ合いを通して人を変える仕事こそまさしく教師の道であります。至誠館が目指すもの、それは人を人として鍛え、次代を担う有為な人材を育てる場所に他なりません。願わくば至誠館は、人が集い、鍛えあい、そして支えあって生きる心の故郷でありたい。

松濤館流空手道場至誠館 館長 波多 洋治

至誠館道場 館長挨拶

[館長挨拶]
至誠館道場館長からのご挨拶です。

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